やじうまの杜

老舗フリーソフト作家・柳井政和氏の小説家デビュー作『裏切りのプログラム』、その“IT系あるある”っぷりを徹底検証!?

プログラマー探偵が活躍する社会派ミステリー。個性的なキャラクター達も魅力

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『裏切りのプログラム ハッカー探偵 鹿敷堂桂馬』表紙

 老舗フリーソフト「めもりーくりーなー」などで知られるプログラマー・ゲーム作家の柳井政和氏(クロノス・クラウン)の小説家デビュー作、『裏切りのプログラム ハッカー探偵 鹿敷堂桂馬』が27日、文藝春秋より発売された。

 『裏切りのプログラム』は、第23回松本清張賞の最終候補作となったミステリー小説。プログラマーが企業データを暗号化して失踪し、“身代金”7,000万円を要求してくるという事件に、若くして会社を立ち上げた“安藤裕美”と、プログラマー“鹿敷堂(かしきどう)桂馬”が立ち向かう。社会派ミステリーとしても興味深い作品だが、同時にIT業界で働く人々の姿がさまざまな角度から描かれ、“IT系あるある”的な観点からも楽しめる作品となっている。

 そこで本稿では、窓の杜ならではの視点から、本作の見所を紹介していきたい。

実在のサービスがモデルに?プログラマーの理想的な職場環境も登場

 主人公の安藤は、人材派遣会社で働くうちに、プログラマーが実力を活かして転職できるサービスを企画する。具体的な仕組みは、プログラマーの採用を考える会社の現場エンジニアが課題を出し、転職希望者がその課題をクリアするプログラムを書くというもの。技術ベースでのマッチングという、現場と就職希望者双方の理想を実現する仕組みだが、社内では実現が叶わず、投資家の東城院加奈子との出会いもあって安藤は起業を決意する……というのが序盤の展開だ。

 このサービス、読者の中には実在のサービスを思い浮かべる方も居るのではないだろうか。柳井氏自身もエンジニア向けの実務スキル評価サービス“CodeIQ”で出題者を務めており、こうした経験が執筆に活きているのだろうと感じさせられた。他にも3Dプリンターやビッグデータ、フルスタックエンジニア、ギークハウスなどさまざまな技術関連のトピックが作中に散りばめられているが、流行りネタを無理に詰め込んだような上滑り感はない。こうした世界に元々触れている著者だからこそ自然と物語に織り込めたのだろうという印象を受けた。流石に(技術界隈におけるスラングとしての)“モヒカン”まで出てくるのは吹き出してしまったが……。

 安藤のクライアントである、被害にあった企業の職場環境も興味深い。本文から引用しよう。

 椅子はすべて、十万円を超えるアーロンチェア。キーボードも一万円以上は当たり前で、二万円までなら好きなものを選べる。モニターも必要に応じて追加購入可能。そうして効率的な作業環境を整えて、心ゆくまで仕事に専念させる。

 作業が終わるまで話しかけてはならない。安藤は、多くのプログラマーとやり取りをした経験から、そのことを知っている。

 彼らは、頭の中に大量の情報を展開して、その情報をもとに仕事をしている。声をかけて思考を中断させれば、頭の中の情報はすべて消えて、作業は一からやり直しになる。プログラマーの脳内は、書類を広げたテーブルのようなものだ。窓を開けて、風通しをよくしようとすれば、書類はすべて宙に舞い、甚大な被害を与えることになる。

 こんな環境で、こんな理解のあるスタッフと共に働きたい(もっとも安藤自体は社内の人間ではないが)と思う方も多いのではないだろうか。こんな素敵な企業がなぜ犯罪の標的とされてしまったのか。それはぜひ作中で確かめてほしい。

個性的なキャラクターも魅力。働く者達の悲喜こもごもが描かれる人情劇

 本作に繰り返し登場する言葉として、『世のため人のために働く』というものがある。さまざまな登場人物が、希望や決意の言葉として語るものだが、それを貫き通す者、迷いつつ追求する者。そして、かつては抱いていたその気持ちを打ち砕かれてしまう者……そうした“働くということ”にまつわる悲喜こもごもも、本作における見所のひとつ。IT業界を舞台にしつつも、人情味あふれる物語が展開する。

 また、脇を固める人物も含め登場人物がみな個性的で、キャラクター小説としても楽しめる作品となっている。個人的には長髪で頭にバンダナ、禅僧のような雰囲気を醸し出しており“グルさん”と呼ばれているプログラマーというのが、(いまどき実際に居るかどうかはともかく)いかにも、という感じでビジュアルが浮かびニヤリとさせられた。

 そのほか安藤の前職時代の後輩で、起業する安藤についてきた“三木原百合”も強烈なキャラクターだ。フェミニンなファッショにポニーテール、いつもふんわりとした笑顔を浮かべている……というぱっと見の印象とは裏腹に、『頭の中はビジネスの四文字しか躍っていない』と評される安藤の右腕で、会社ではラスボスと呼ばれている。仕事以外がズボラになりがちな安藤を甲斐甲斐しくフォローしたり、安藤が危険な場所へ足を踏み入れる際は半端でないほど心配したりと、先輩と後輩、上司と部下という枠を超えた強い想いを感じさせる場面も。そうなると“百合”という名前にも作為的なものを感じる、というのは考えすぎだろうか……。

地に足のついた社会派ミステリー。シリーズ展開にも期待!

 そんな中でも注目はやはり、探偵役となるプログラマーの鹿敷堂だ。サブタイトルでは“ハッカー探偵”と謳われる彼だが、謎のハッキングプログラムを駆使して犯人と電子戦を繰り広げる……といったハッカーの“いかにも”なイメージとはちょっと趣が異なる。ネタバレになってしまうので詳しくは書けないが、あくまで現実的に十分あり得る手段を適切に駆使して犯人に迫っていくのが面白い。地に足のついた社会派ミステリーという印象だ。

 また、推理をデバッグになぞらえたり(帯にも使われている決め台詞『プログラマーという人種はですね。他人とともに、自分も信じない人間なんですよ』はここに出てくる)、コードから書いた者の人となりを推測したりといったプログラマーらしい面、そしてちょっと掴み所のない言動などもユニークだ。

 とはいえ“ハッカー探偵”ならではの(現実的な範囲での)電子戦の類もちょっと見てみたいな、という気持ちも正直なところ。本作は魅力的なキャラクター造形などにより、シリーズ物にもなり得るポテンシャルのある作品だと感じさせられた。今後の展開にもぜひとも期待したい。