公開15周年記念企画

「Pixia」作者 丸岡勇夫氏インタビュー

『僕にとって「Pixia」というのはひとつの“世界”の名前なんです』

「Pixia」

 去る11月1日に公開から15周年を迎えた老舗ペイントソフト「Pixia」。さまざまな理由で惜しまれつつも開発や公開が終了してしまうオンラインソフトもある中、「Pixia」の開発が続いているのはうれしいニュースだ。窓の杜では、公開15周年記念企画として開発者である丸岡勇夫氏にインタビューした。「Pixia」開発秘話やプログラマーとしての矜恃、ソフト開発を長く続けるコツなどを聞くことができたので、お伝えする。

開発者としての略歴

丸岡勇夫氏

――まず、ソフトを開発し始めたきっかけを教えてください。

丸岡氏:僕は元々プログラムを組む気はなかったんです。小さい頃から絵が好きで、高校の頃は将来画家になりたいと思っていて。毎日油絵を描いていました。みんながPC-98などに夢中になり始めた頃も、「何がおもしろいんだろう」って冷たい目で見ていたんですよ。あるとき、先輩が「パソコンで絵を描けるよ」と教えてくれたので、パソコンを使い始めたんです。それでも、僕にとってパソコンはあくまで絵を描く道具でしかなかったですね。

 高校卒業後、美大に入ろうかとも思ったのですが、絵を描ける工学部があるということで千葉大学のデザイン学科を受験し、合格しました。ところが後日、大学の方で手違いがあったため、どの学科でも選べるという電話が来たんです。そのときに慌てて何を間違ったのか機械工学科を選んでしまい、そのまま入学しました。

 大学の入学式の前に新生活の準備をするため、近所のスーパーへよく行っていたんですが、そこでなぜかよく会う人がいて、ちょっと話をするくらいの仲になったんです。その後、大学のコンピューター関係のサークルに入ったら、驚いたことにその人がいたんです、先輩として。実はその人が市川さん、現在の(株)市川ソフトラボラトリーの社長だったんです。

 パソコンで絵を描いていると道具としての不満が出て来るじゃないですか。そこで市川さんに少しパソコンの勉強をさせてくれませんか、と頼んだんです。それが今考えると運命の分かれ道だった。

 頼んだらすぐ車に乗せられて、いきなり大きい工場へ連れて行かれました。車を降りる前にバサッと名刺を渡されて「これおまえの名刺だから」と(笑)。「は?」って感じでした。で、いきなり打ち合わせが始まりまして。その後市川さんは用があるからって帰っちゃったんですよ。独り取り残されて、「納期が……」とか「仕様が……」とか先方から言われたことを必死でメモしました。

『それこそエディターって何ってところから無理矢理プログラミングを覚えて作りました(笑)』

 帰って「ひょっとしてこれを僕が作るんですか?」と尋ねたら、「そうだよ、話聞いてきただろ」と。仕方がないので、それこそエディターって何ってところから無理矢理プログラミングを覚えて作りました(笑)。それが、僕の初仕事でプログラムの第1号です。できたプログラムはその工場ではかなり長い間使われていたみたいですね。

 それからはいろいろな企業のシステムを作りました。大学の授業が終わってから会社へ行き、仕事で徹夜して朝になったらまた大学へ行く、というような生活をしていたんです。でも、今まで一度も納期に遅れたことはないし、大学の授業にも無遅刻で出席していたんですよ。その後、大学院の在学中に市川ソフトラボラトリーの社員になりました。

――市川ソフトラボラトリーではどんなお仕事をされていたんですか?

丸岡氏:その頃、PC-98用のグラフィックアクセラレーターが出始めたので、PC-98上のMS-DOSで動くフルカラーグラフィックソフト「まるぱ」を作りました。確かそれが市川ソフトラボラトリーの商用ソフト第1号になったはずです。アイ・オー・データやメルコ(現バッファロー)といったメーカーに技術資料を送ってもらったりしましたね。メーカーの方がとてもやさしかったことを覚えています。もちろん、画像処理系以外にもいろいろなシステムを開発していました。

 1993年にWindows 3.1が発売され、“初めてのWindows 3.1”的な本を買い3カ月後にWindows 3.1対応のペイントソフト「DaisyArt」を完成させました。僕の取り柄は順応の早さなんです。「DaisyArt」は1994年の日本ソフトウェア大賞を受賞しました。そこからソフトの売り上げが伸びていきましたね。画像処理系ソフトの制作依頼もかなり増えました。

 その頃はいろいろな人と知り合いました。マイクロソフトの会長だった古川さんやセイコーエプソンの安川さんなどにかわいがってもらい、さまざまな仕事を紹介してもらいました。

 市川ソフトラボラトリーを辞めた後はいろいろな会社でソフトの開発を行っています。

「Pixia」の開発

――「Pixia」の生まれた経緯を教えてください。

丸岡氏:「Pixia」は、「DaisyArt 2000」として頭の中で考えていたものです。諸事情により別ソフトとしてゼロから作ることになりました。「DaisyArt」を開発している間にいろいろな疑問が生まれてきまして。機能の数で比較されるのがとても嫌だったんです。油絵なんて絵の具と筆だけで絵を描くのに、商業のソフトだとどうしてもフィルターの数やサポートしている形式の数で優劣をつけられてしまう。それは違うんじゃないかと思っていました。

 人間ってそんなに進化するものではないので、去年初めてグラフィックツールを使い始める人と、今年初めてグラフィックツールを使い始める人のレベルって変わらないんですよ。でも、商業ソフトでは営業的に他のソフトに勝つということが優先され、バージョンアップのたびに機能を追加しなければいけない。それが嫌でした。

 そうすると初めてのユーザーはついてこられないんですよ。初めて使うソフトで余計な機能が多すぎると使いづらい。最初のバージョンから追いかけて使っている人はわかるかもしれませんが、そうじゃない人はいきなりよくわからない機能満載のソフトを使わなければならなくなる。それはおかしいと。むしろバージョンアップのたびに機能は減っていくべきだと思っていました。1年に1回使うかどうかわからないような機能のためにメモリを消費してソフトが重くなるのはおかしいと。

 「Pixia」はフリーソフトとして公開し、機能を最小限にまで絞ることをコンセプトに余分な機能を大量に省きました。

「Pixia」v4/5/6それぞれのコンセプト

「Pixia」v4

――現在「Pixia」はv4系とv5系、v6系と3つのバージョンが公開されていますが、それはなぜですか?

丸岡氏:基本はv4で十分だと思っています。十分絵が描ける。「Pixia」の基本コンセプトとして“入り口で待っているソフト”というのがあったのです。初めてパソコンで絵を描く人にとって常に取っつきやすい“入り口”のソフトであろうと。何年たっても「Pixia」を使っていた人が初めて使う人に使い方を教えられるし、同じYouTube動画や書籍などのチュートリアルが利用できる。そのために機能は追加しないと決めていました。そのコンセプトに忠実なバージョンがv4です。

 でも、変化しないことを不満に思うユーザーもいるんです。僕もその一人なんですが(笑)。やりたいことを思いついた時に、それを実現するために作ったのがv5系です。基本的にはあまりダウンロードして欲しくないと思い、最初は「Phierha」という別の名前で公開していました。先進的な機能や高度な機能を搭載しているので、テスト版的な位置付けだったんです。突然仕様が変わる可能性があるのがv5系です。

 v6系はv5系をさらに進化させたバージョンです。v6系も本当はv5系として出したかったのですが、根本的に構造を変えしまったので不安定なためv5系と分けて公開しました。v6系では高解像度が一般化した時代に合わせ、ピクセルを意識しないで絵を描けるソフトを目指しています。v6系が安定したらv5系は、非公開にするつもりです。

「Pixia」v5
「Pixia」v6

ソフトを開発する上でのこだわり

――ユーザーとの関わり方についてどうお考えですか?

丸岡氏:ユーザーとオープンにつきあいたいのです。僕にとって「Pixia」というのはプログラムの名前ではなくて、ひとつの“世界”の名前なんです。ユーザーからメールをもらうたびに「Pixia」はプログラムの名前じゃないんですよ、こういう交流で“世界”を変えていくことが「Pixia」なんですよ、と伝えるようにしています。

「Pixia」の英語版サイト

 僕は「Pixia」を作っていて苦労したことがないんです。みんな誰かが手伝ってくれる。僕がやっているのはプログラミングだけなんです。BBSのスパム書き込みは有志の方が消してくれていますし、インストーラーも作ってくれる方がいるし、英語サイトも作ってもらっています。1円にもならないのに。

 公式サイトもほとんど僕が作ったものではないんですよ。トップページ以外はほとんど誰かが作ってくれたものにリンクしているだけなんです。ダウンロードページもBBSもユーザーの方が作ったものですし。

――ソフトを開発する上でのこだわりはありますか?

丸岡氏:ソフトって本来主役ではなくて、手段・道具でしかない。主役はコンテンツじゃないですか。ユーザーにとって大事なのは、自分が表現したいことを表現できること。それを手助けするためのものを提供するのが僕らの役目だと思うのです。人と関わるために自分を表現するためのツール、そんなソフトを作っていると思っています。

 たとえば、アマチュアでテニスを楽しんでいる人のほとんどはテニスのラケットが欲しくてテニスをしているわけではないでしょう。毎週日曜日にみんなで集まって、汗をかき、ビールを飲んでしゃべるために、ラケットが必要なんです。そのためのラケットなんです。「Pixia」もそんなラケットのような存在であるべきだと思っています。人と関わるための「Pixia」なんです。

 ソフトは接客業なんですよ。自分の作ったものが自分の知らないところでユーザーをもてなす。機能じゃなくて気持ちなんですよね。ですから、いつも人間と付き合っていないとろくなものが作れないと思っています。「分厚い本を読むより10回フラれた方がよっぽどいいソフトを作れるようになる」と新入社員にアドバイスした事もありましたね。人の気持ちがわからなかったら、ユーザーインターフェイスのことなんてわからないと思うんです。

 大学に入った最初の頃は油絵を描き続けたいという欲求が強かったのですが、プログラミングをしていくうちにその欲求がだんだんなくなっていきました。絵を描くことで満たされる欲求がプログラムを書くことで満たされたんではないかと思うのです。絵もソフトも自分の“作品”であると感じるんです。ですからいつも自分の部下を育てるときも「仕様書通りに作るだけではなく、自分の“作品”を作れ」と言っています。

――「Pixia」を開発する際にも、そういったこだわりが反映されているのですね。

丸岡氏:「Pixia」を開発する際に、世界を変えたいと思っていました。誰かが「Pixia」を使うことで、その人の世界を少し変えられると思うんです。「Pixia」を知った時点で「Pixia」のある世界になる。

「Pixia」英語版

 それから世界中の人を「Pixia」でつなげたいと思っていたので、英語版の開発は最初から考えていました。まさか、12カ国語に翻訳されるとは思っていませんでしたけど。世界がドンドン広がっていき、世界中の人から連絡が来る。大変でしたけどね。単純計算でも12人の人とほぼ毎日メールでやりとりし続けるわけですから。一番ひどい頃には1回バージョンアップすると全言語版を出すのに1年かかったこともありました。

 さすがに大変なので、今の最新版は日本語版と英語版に絞って開発しています。でも、最近はまた12カ国語対応ができればと考え始めています。「Pixia」は世界中の国々で教材として使われているんです。小さい子供さんにはその国の言語で使えた方がいいかなと思いまして。

仕事とオンラインソフトの関係

――仕事をする上で「Pixia」を開発していることは役に立ちますか?

丸岡氏:僕は趣味と仕事の境界線が曖昧なんです。「Pixia」に使われているプログラムの部品を使うことで仕事が捗ることもあります。趣味だけでやっていると僕は伸びないんだと思いますね。また、仕事だけでやっていても嫌になってしまう。

 オンラインソフトを作っていると、ユーザーさんから要望がダイレクトに伝えられます。その要望に多少無理があっても応えているとスキルが上がって、できる仕事の幅が広がって行くのが実感できるんですよ。オンラインソフトで培った技術が仕事で使えるといったことも多々あります。オンラインソフトと仕事の相乗効果でスキルが上がって行くのが、おもしろいところですね。

 また、フリーソフトで培った人の輪が、仕事で役に立ったりすることも多々ありました。フリーソフトを作っていると、やっぱり人の輪が広がりますよね。

 市川ソフトの社員だった頃から、BBSでユーザーの意見を直接聞き実名で対応して次のバージョンを開発するという、商用ソフトでは珍しい手法を採っていました。常にユーザーとコミュニケーションを取りながら開発していました。

――オンラインソフトでよく使われている手法をそのまま商用ソフトでも採用していたんですね。

丸岡氏:今思うとこの手法はいろいろなメリットがあって、ユーザーさんも開発に参加することで楽しめるんですよ。大手の企業だと要望を出しても、リアクションがないじゃないですか。リアクションがなければつまらないですよね。常々、人と人のつながりがものを作るんだと思っているので、今でも実名でユーザーさんとのやりとりを続けています。

 ある意味ユーザーをただ働きさせていたとも言えますね(笑)。本来は企業内でやるべきことをユーザーにやってもらっていました。でも、そのソフトの何が問題なのかを一番知っているのはユーザーなんですよ。

開発環境

――どんな環境で開発を行っているのですか?

丸岡氏:僕は変なところが意地っ張りで、低スペックのパソコンを無理して使う主義なんです。「DaisyArt」を作った頃はPC-9801RAにグラフィックアクセラレーターを積んだものを使っていました。会社は恥ずかしいからもっといいパソコンを買ってあげると言ってくれていたのですが。「DaisyArt」のコンパイルに1時間以上かかっていました(笑)。

 今、開発ツールは「Visual Studio 2010」をコマンドラインで使っています。GUIのデザインツールは使っていません。クラスライブラリさえ使っていません。ブラックボックスな部分があるのが嫌なんですよ。「WZ EDITOR」でソースコードを書き、“Makefile”を作成してコンパイルする感じです。GUI関係のリソースファイルもテキストエディターで手書きしています。

――すごいですね!やっぱりもともと絵を描いているので頭の中に映像があるんでしょうか?

丸岡氏:なんとなく「この辺の座標だとこう並ぶ」みたいなのが頭に浮かぶんです。周りからは原始人呼ばわりされてますけど(笑)。

オンラインソフトの開発を続けるコツ

――オンラインソフトの開発を長く続けるコツなんかはありますか?

丸岡氏:上から目線で要望を出してくるユーザーに対しては、「嫌なら使わなければいい」くらいの気持ちでいればいいと思います。あと、無理をしないことです。人間って感情や忙しさの起伏があるので、忙しいときは無理に開発しなければいいんです。忙しいときにバグレポートを受けたからって、仕事の合間を縫ってバグを修正する必要はないと思います。趣味なので。

 僕もなんとなくユーザーからのメールを読むのが嫌になった時期が何度かありました。実際に何カ月か読まないこともありました。でも、それはそれでいいと思います。逆に読みたいときもありますから。そのときに読めばいいんです。

今後の「Pixia」

――今後の「Pixia」の展開はどうなるのでしょう?

丸岡氏:Windows ストアアプリ版の「Pixia」も作ろうかと思ったのですが、制約が多すぎて諦めました。たとえば、ストアアプリではソフトの終了をOS側がコントロールするのですが、アプリはOSから終了された際にそのときの状態を保持しなければならないんです。その保存のために時間制限が結構短いのですが、レイヤーなどを使った大きなファイルを保存するのはどう考えてみても不可能なので、デスクトップでやるしかないと。

 でも、OSにはあまりこだわらず作っていこうと思っています。AndroidがWindows並みに強化されていけばAndroid版も公開しようと思います。どんなOSが主流になるのか未来のことは分からないですけど、ユーザーが使っているOSに対応したものをすばやく作ろうと思うんです。まずは、v6系を安定させることを優先します。

「Pixia」で伝えたいこと

――これからプログラミングを始める人たちに伝えたいことはありますか?

丸岡氏:今の若い人には、もっと夢をもってほしいと思っています。今のプログラマーは恵まれない職種みたいに思われているところがあります。でも、「Pixia」は世界中の人に使われていて、YouTubeを“Pixia”で検索すれば世界中の人が作ったチュートリアル動画が見つかるんです。プログラマーはそういう世界中とつながれるソフトを作れるんだと伝えたい。日本人でも素晴らしいソフトが作れるんだということに、胸を張るようになってほしいんです。

(長谷川 正太郎)