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大阪万博の「ヌルヌル」で見せたかった光景は“即今”、落合陽一氏が「パビリオン」を振り返る ~「人間の精神がトランスフォームするようなものを作りたかった」

AIと物理世界が溶け合った境地とは? 特別講演レポート【AIフェスティバル 2025】

「AIフェスティバル 2025」特別講演に登壇したメディアアーティストの落合陽一氏

 2025年11月8日、株式会社サードウェーブ主催によるイベント「AIフェスティバル 2025」が開催された。「AIをもっと身近に、もっと楽しく」をテーマにし、今回で3度目の開催となる。入場無料となった今年の祭典にも多くの人が来場し、楽しんだ。オープニングを飾った特別講演には、メディアアーティストであり、先日閉幕した大阪・関西万博(2025年日本国際博覧会)でテーマ事業プロデューサーを務めた落合陽一氏が登壇した。

 昨年の講演では「神社を建立し、禰宜(ねぎ)になった」と語って会場を驚かせた落合氏だが、今年のテーマはズバリ「パビリオン」。本稿では、落合氏自身が手掛けたシグネチャーパビリオン「null²(ヌルヌル)」の制作秘話から、AI時代における「物質と計算」の関係、そして万博を通じて見えた新たな自然観「即今(そっこん)」について語られた講演の模様をレポートする。

「デジタルネイチャー(計算機自然)」を体現したパビリオン「null²」

 大阪・関西万博で落合氏が担当したパビリオン「null²」は、外装が可動式の鏡膜で覆われ、内部では生成AIをフル活用したシアターが展開されるという実験的な建築だった。

「いのちを磨く」をテーマにした2025年大阪・関西万博のシグネチャーパビリオン
null² Yoichi Ochiai Signature Pavilion - Osaka Expo 2025 -

 また、テーマ曲も生成AIで制作され、歌手・三波春夫氏の声をAIで再現した「さようならヌルの森よ」などが使用されたことでも話題となった。ちなみに、テーマ曲はもうひとつあり、曲名は「さようならホモサピエンス」。こちらは落合氏がプロンプトチューニングをして三波春夫氏の声に近づけたという。

 落合氏が提唱する「デジタルネイチャー(計算機自然)」とは、コンピューターと自然の区別がつかなくなり、デジタルが新たな自然として環境に溶け込んでいく世界観を指す。2015年の著書『魔法の世紀』の頃から「映像と物質の境界」や「空気が直接光るような世界」を構想していたとのことで、今回のパビリオンもその延長線上にあると語る。

「風景と共に変形し、中に入ると人間の精神がトランスフォームするようなものを作りたかった。鏡がうねうねと動き、風景をトロトロと映し出す。それを人間サイズ以上の建築として実現することを目指しました」(落合氏)

「我々が産む子供(約3,000g)の総重量よりも、生産されるスマホの総重量の方が重い世界に生きているのです」

 講演の中で落合氏は興味深いデータを示した。

 地球上のバイオマス(生物量)において、もっとも大きいのが植物で、450ギガトンカーボンもある。一方、人間は植物と比較すると、わずか0.06ギガトンカーボンと比べものにならないくらい小さな存在だ。しかし、人工物の量は爆発的に増えている。

「人類は年間約1億人生まれますが、スマートフォン(約300g)は年間約10億台作られています。重さで比較すると、我々が産む子供(約3,000g)の総重量よりも、生産されるスマホの総重量の方が重い世界に生きているのです」(落合氏)

 さらに2020年頃には、人間が作り出した人工物の総重量が地球上の全バイオマスを上回ったという論文にも触れた。コンクリートや骨材、レンガ、アスファルト、金属などの合計重量が、2015年からは毎年30ギガトンずつ増え、1.1テラトンを突破したというのだ。

人工物質量は指数関数的に増加しており、2020年にバイオマスを超えた

「我々は人工的なものと自然の区別がつかない世界、つまりデジタルネイチャーの中に生きている」

 続けて、何をもってスマートフォンやコンピューターと呼ぶのか、と落合氏は問いかけた。演算チップそのものを指すという人はおらず、全体としてコンピューターとして捉えていると喝破(かっぱ)した。

「コンクリートも建物もすべてコンピューターネットワークに繋がっていると考えれば、もはや生き物よりコンピューターの方が重い。これはデジタルネイチャーに近づいている証拠です」(落合氏)

 すでにAIの知能指数は人間の中央値を遥かに超えており、早めに見積もれば2026年、遅くとも2030年にはAIが文明を勝手に進めはじめると予測する。この状態を落合氏は「2025年の今、我々は人工的なものと自然の区別がつかない世界、つまりデジタルネイチャーの中に生きている」と強調する。

 AIが高度化する中で人間の役割はどう変わるのか。落合氏は万博期間中にカナダ館で実施したDJイベントの映像を紹介した。そこで流れる曲も映像もAIが生成したものだ。以前は20分の曲を作るのに1週間くらいかかっていたのが、今では5分で作れるようになったという。

「人間が何をしているかというと、ボタンを押して旗を振っているだけ(笑)。でも、会場は盛り上がっている。AIが作った曲を、DJである私自身も現場で初めて聴きながら繋いでいく。すべてが『本邦初公開』の新曲リミックスです。これからの人間とAIの付き合い方は、目的を持って作るというより、現場でどう盛り上がるか、その瞬間を楽しむことにシフトしていくのかもしれません」(落合氏)

万博・カナダ館で実施されたDJイベントの様子

 また、落合氏は万博会場で見かけた来場者たちを「屈強な万博市民」と名付け、称賛した。椅子持参でイタリア館の彫刻を見るために並ぶ彼らの姿に、文化的な「良し悪し」を判断する審美眼と、身体性を伴った熱量を見たという。

「岡本太郎氏はかつて『万博は見るだけの受動的な祭りだ』と批判しましたが、今回の万博では、人々が身体を運び、熱を出し、デジタルと物理が混ざり合った空間に『侵食』されていく様子がありました。これは非常に重要な体験だったと思います」(落合氏)

蝶と老人の夢、そして「即今(そっこん)」へ

 落合氏が大阪・関西万博のテーマ事業プロデューサーを依頼されたとき、「『太陽の塔』のようにアイコニックなテーマになるようなものを」と言われたという。そのときは安直な気持ちで、太陽の塔が縄文時代の土偶や精神性からインスピレーションを受けたのならば「自分は弥生時代の鏡を作ろう」と考えた。落合氏は「次のプロデューサーは源氏物語をやればいい」と冗談を飛ばした。

「ヌルヌルと風景を映すものが動いていくことが、私の中で結構重要なテーマです」

 実は、落合氏はもとから鏡をモチーフにした作品を作っていた。

 2017年には金属製の鏡面球体を磁気で浮かせて回転させる「レビトロープ(Levitrope)」、2018年にはTDKと協力して「Silver Floats」という波源の形をした鏡のオブジェを制作した。

「ヌルヌルと風景を映すものが動いていくことが、私の中で結構重要なテーマです。なので、いっぱい作っているんですけど、いかんせん、やっぱり浮くものって小さいんですね。この2年後にプロデューサーになるのですが、でっかいものを作りたいよなと思っていました」(落合氏)

2017年に制作された「レビトロープ」
Levitrope(2017, Mixed Media)/ Yoichi Ochiai

「null²」は空即是色、色即是空

 テーマ事業プロデューサーに就任すると、最初に作った企画書に「風景と共に変形する形を作る」「中に入ると人間の精神がトランスフォームする」と書いたという。

 2021年には、中国の工場からバルーンを持ってきて、幕素材を動かす検討を始めた。その後、マインクラフトのようなボクセルで建物を作ることになったそうだ。その後、3年間に渡り、落合氏の展覧会ではヌルヌルした作品が作られるようになった。山梨の展覧会ではアクチュエーターとスピーカーを活用した。このときのアクチュエーターは、そのままパビリオンで使用されたという。

「『null²』は空即是色、色即是空なところがあり、それが物理的なものとデジタルの鏡がループになっています。世界に質量のある自然、質量のない自然、計算機自然という3つの自然があったときにどうなっていくんだろう、再帰的反射になるとどうなるんだろう、というところを作りました」(落合氏)

「null²」のコンセプト

 パビリオンのモチーフとなった「鏡」や「変形」、そして「蝶」には、荘子の「胡蝶の夢」へのオマージュが込められている。「蝶が見ている夢が老人なのか、老人が見ている夢が蝶なのか。生成AI時代にはその境界すら曖昧になり、絵として描けてしまう」と落合氏は語った。

「人間の精神が変容するような空間を実現し、来場者をデジタルヒューマンに変換するため、高速な3Dスキャナーで撮影しました。複数の写真からリアルな3Dシーンを生成する新技術である『ガウシアン・スプラッティング(Gaussian splatting)』が登場したのもよかった」(落合氏)

パビリオンの入り口で希望者をスキャンしてデジタルヒューマンを生成した

「伝統、音楽、生成AI、建築が融合した美しい光景」=「即今」

 講演の終盤、落合氏はパビリオン内で開催された「新世界茶会」のエピソードを披露した。チェコの管弦楽団がドヴォルザークの「新世界より」を演奏する前で茶会を開くという一見、カオスともいえる試みだ。しかし、そこには「伝統、音楽、生成AI、建築が融合した美しい光景」があったとのこと。

 落合氏は、これを仏教用語などを交えて「即今(そっこん)」という言葉で表現した。

「時間と空間はAIの潜在空間に折りたたまれていきます。言葉を入れれば音楽や映像が即座に生まれ、過去も未来も圧縮される。そうすると、残るのは『今、ただここだけ(即今)』なんです。AIが怖いといった西洋的な対立構造ではなく、AIもまた自然の一部であり、その中で『即今』を共有し、皆で踊ることができた。それが、2025年の大阪で我々が見せたかった光景なのだと思います」(落合氏)

 計算機と自然、デジタルとアナログが不可分となった世界で、人間はいかにして「今」を楽しむか。落合氏のパビリオンが提示した問いは、万博閉幕後も計算機自然に残り続けている。