Book Watch/著者は語る

サイバーミステリーの著者が考えるリアルな“ハッカー探偵”像とは?

『顔貌売人 ハッカー探偵 鹿敷堂桂馬』の著者、柳井政和氏

『顔貌売人 ハッカー探偵 鹿敷堂桂馬』

 8月7日、文藝春秋よりミステリー小説『ハッカー探偵 鹿敷堂桂馬』シリーズの第2作『顔貌売人』が発売されました。著者は柳井政和氏。窓の杜の読者であれば、「めもりーくりーなー」「Novel Supporter」といったフリーソフトの作者として名前を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。

 同氏は以前よりプログラマーとして技術系の執筆活動もされており、またゲーム作家でもあるなどマルチに活躍されていましたが、昨年文藝春秋より一般文芸のジャンルで作家デビューと、さらに活動の領域を広げました。そのデビュー作『裏切りのプログラム ハッカー探偵 鹿敷堂桂馬』の続編が『顔貌売人 ハッカー探偵 鹿敷堂桂馬』です。同氏の経歴が活かされた、IT業界が舞台のサイバーミステリーとなっています。

『顔貌売人 ハッカー探偵 鹿敷堂桂馬』作品紹介

 幸子は地方から上京し、東京の大学に入ったが、実家の店の経営難で仕送りが減り、ブラックバイトに手を染める。その中で、騙されてアダルトビデオに出演させられるが、幸子は化粧前と後でまったく別人の顔になるため、その後は都内の銀行に就職して、地味な生活を送っていた。ところがある日、高校の同級生から「おまえ、AVに出ていないか」というメールが届く。驚いた幸子は、メールにあった「AV女優顔探索」というサイトを見て愕然とする。顔認識の技術と個人情報を紐付け、過去を暴く恐ろしいシステム。その作者の真の意図とは一体……?

 情報犯罪を阻止するのは、時間との勝負だ。相談を受けた女社長・安藤裕美と、クールな一匹狼の技術者、鹿敷堂は、すぐに行動を開始する。

 プログラムに隠されていた謎のメッセージ。犯人の背後に潜む悪の組織。前作「裏切りのプログラム」で登場した名コンビが情報技術を駆使し、汗をかき足で稼いで真実に迫っていく。最先端の情報犯罪と、現代社会の底辺で足掻く者たちの苦悩を活写する傑作ミステリー第2弾。

 今回は『ハッカー探偵 鹿敷堂桂馬』シリーズについて、柳井氏に伺いました。

『ハッカー探偵 鹿敷堂桂馬』シリーズでは、実際に存在する技術や事件がモチーフとして登場しますが、その中には一般的に有名なものもあれば、ネットで話題になったものなどもあるかと思います。こうした多方面に渡るトピックはどのように集められているのでしょうか。また、「これを作品に使おう」という判断はどのようにされているのでしょうか。

 少なからぬ人には、情報を摂取して記録したいという欲求があります。たとえば、識字率が高かった江戸時代には、日本各地で日記が書かれました。また、カメラが手軽になって以降、多くの人々が写真を残し始めました。

 IT時代になり記録的行動は加速します。ネットを巡回して、気になった記事をソーシャルブックマークする。ブログやSNSに書いて発信する。このように多くの人々が記録的行動を取ることによって、情報をランキング形式でまとめる、メタ記録的なサービスも登場してきました。

 私は、ネットの情報を日々追っています。そして興味があったものはメモして、必要に応じて関連情報を調べ、事態の推移を観察しています。つまり「ネットジャンキー」なわけです。IT業界には似たタイプが多く、この記事を読んでいるあなたも、そうかもしれません。

 こうした記録活動を続けていると、共通のキーワードを見つけたり、根源的な繋がりを発見したりします。なぜなら私自身が記録を取ることで、「ある個人の関心」というフィルターがかかっているからです。

 そうした情報を組み合わせることで、現実には起きていないが、あっても不思議ではない事件――ifの世界ではあり得ること――をシミュレートする。そこに、リアルな自分が直面している問題を織り込む。そうしたことをして、その中から物語になりそうなものを選んでいます。

『ハッカー探偵』というタイトルですが、鹿敷堂桂馬の捜査手法はとても地道な印象です。『顔貌売人』では表計算ソフトでデータ整理をしているのが特に印象的でした。超人的な能力者としてではなく、こうした形で“ハッカー”を描く狙いを教えてください。また実際のところ、鹿敷堂のハッカー(プログラマー)としての実力はどの程度なのでしょうか。

 プログラムを書いている人は分かると思うのですが、「デバッグ作業」は「推理」に似ています。情報を集め、仮説を立て、答えを導き出す。情報と仮説はリンクしており、この繰り返しで答えに近付いていく。

 天才的な閃きではなく、デバッグ的な推論。現実のデバッグ作業では、地味な情報収集が大切です。このシリーズでは、プログラマーが探偵役である意味として、「デバッグ過程」を重視しています。

 また、このシリーズの探偵役である鹿敷堂桂馬は、伝説のハッカー「ケビン・ミトニック」のようなソーシャルハック的手法を多用します。こうした行為は、犯罪的なものでなければ、普通の人も仕事などで行なっています。

 昔、企業の広報をしていて、全国のラジオ局に電話をかけたことがあります。その際、表計算ソフトで情報を管理して、代表番号から番組担当者にアクセスしました。こうした行為の一歩先が、人や組織のハックです。本シリーズでは、こうした現実的手段によって、事件に肉薄するようにしています。

 鹿敷堂の実力についても言及します。本シリーズの探偵役は、GoogleやFacebook、OracleやIBMのような、大きな仕事はしていません。一匹狼の何でも屋ということで、危険な仕事も含めて幅広い経験を持っていますが、それは個人で処理可能な案件に限られます。

 どの分野のプログラマーでもそうですが、実際に開発に携わった分野の能力は高く、それ以外はそこそこです。ただし、多くのプログラマーと同じように、短期間で新しい技術を身に付けることは長けています。必要に応じて、彼もどんどん成長していくでしょう。

『裏切りのプログラム』『顔貌売人』ともに、社会の厳しさに苦悩する者達を描いた社会派としての側面も強い作品でした。こうした点は今後も引き続きシリーズのテーマとなっていくのでしょうか。シリーズや次回作の構想など、可能な範囲で語っていただければ幸いです。
『裏切りのプログラム ハッカー探偵 鹿敷堂桂馬』

 人は他人の目を通して自分を知る。そのことを第1作の『裏切りのプログラム』で強く感じました。「社会の厳しさに苦悩する者達」に、自分は強く感心があるらしい。無意識のうちに、そうしたテーマを選んでいた。読者の感想や書評を読むことで、初めて鮮明に自己を認識することができました。

 第2作の『顔貌売人』は、その認識の上で「社会派」と呼ばれる「現実の社会問題に向き合う話」を書きました。無意識のうちに見つめていた問題意識。意識的に盛り込んだ問題意識。2作を、そうした視点で読むのも面白いと思います。

 『ハッカー探偵 鹿敷堂桂馬』シリーズは、今後も最新の情報技術を扱いながら、現代ならではの社会問題に切り込む作品にしていきます。ITが身近になったからこそ、社会の問題との接点も多くなった。そうした話を「あり得る事件が起きる、もう一つの現実世界」として描きたいです。