窓の杜 30周年記念インタビュー

高校時代のゲーム開発から独立、そして米国移住へ。定番エディタ「EmEditor」開発者が貫いた「ニッチで世界一」という哲学

日本のインターネット黎明期、個人開発者はどう事業を作っていったのか?

江村豊氏

「EmEditor」はいかにして現在まで続いているのか

 日本のインターネットの本格的な普及期は1995年末に発売されたWindows 95から、と言われることが多い。弊誌が、「窓の杜」という名前となったのもその翌年の1996年だし、例えばYahoo! JAPANのスタートも1996年1月だ。

 そんなインターネット黎明期に、個人開発から個人事業を立ち上げ、今も続いているのがWindows用テキストエディタの定番ソフト「EmEditor」の開発者である江村豊氏だ。EmEditorは1997年に最初のバージョンをリリース。フリーソフトウェアから始まったが、それが生計をたてるものとなり、その後の変化をどう乗り切ったのか?

 「AI黎明期」である今にも通じるお話を、若い開発者に向けてのメッセージとしてお話しいただいた(聞き手:本誌編集長 鈴木 光太郎 構成:石田 賀津男)。

高校生の時に作ったゲームから開発者の道へ

――今回は来るAI時代に向けて、個人開発で30年間ビジネスされてきた江村さんが、どういう過程を経て現在に至るのかを、若い方へのメッセージという視点からお伝えしようと思っております。

[江村氏]若い方が私のことを知っているんですかね(笑)。自慢話みたいになっちゃいますけれど、先日、ビッグサイトで講演した時に、「EmEditor」をご存知の方がどれくらいいらっしゃるのか尋ねてみたら、半分ぐらいの方が手を挙げていただいて、すごく嬉しかったです。技術系の方が多いからだと思いますが、意外と多くてびっくりしました。

――やはり独特なポジションを作っていらっしゃるということだと思います。その始まりから伺いたいのですが、なぜ開発を始めようと思われたのですか?

[江村氏]最初は個人的な趣味で、ゲームを作ってみたかったんです。PC-6001の、Z80というCPUのアセンブラを独学で勉強して、「ラリー16」というゲームを書きました。それを工学社という出版社に、ちょっと見て欲しいなという感じで送ったら、雑誌に載っちゃって。

――いきなり載ってしまったんですか。

[江村氏]雑誌の原稿料もいただいたし、カセットテープでソフトウェア自体が配布されて、それがいろんなお店や通信販売で販売されて、それもロイヤリティ、印税として入ってきました。

――何歳の時のことですか?

[江村氏]高校生でした。1983年4月ですね。

――当時のPC-6001でZ80のアセンブリを開発するのは、結構大変だったのでは?

[江村氏]そこは便利なツールがあって、その使い方を勉強したんです。確かROMをカセットに差し込んでやるものだったと思うんですけどね。

「EmTerm」を開発して独立、「EmEditor」の開発へ

――その原体験から、「EmEditor」へはどうつながっていったのですか?

[江村氏]当時はNIFTY-Serve、それから海外のCompuServeというパソコン通信が流行っていました。そこで送金代行システムというのがありました。当時はフリーソフトが結構あったんですが、そこからいかに収入を得るかを皆さんが考えていて、少しずつこうお金を寄付し合ってシェアしましょうという考えが生まれました。それが当時あったシェアウェアです。

 それでWindowsのブロック崩しゲームなどを販売して、わずかながら収⼊を得ていたんですが、どうせやるんだったら、もうちょっと実⽤的なソフトを作りたい、というのがきっかけですね。

 そこで作ったのが通信ソフトの「EmTerm」です。さらに、そこに内蔵されていたエディタの部分を取り出してできたのが、テキストエディタの「EmEditor」です。最初のバージョンを公開したのは1997年ですね。

「EmEditor」

――「EmTerm」や「EmEditor」を開発し始めた当時から、個人開発で生計を立てるというビジョンはあったんですか?

[江村氏]ゲームだけでも多少の収入がありましたから、おそらく生計を立てられるだろうなと思いました。大学を出てからインテルに勤めましたが、「EmTerm」を作って、徐々に収入が増えていって、これだったらインテルを辞めても大丈夫だという感触はありました。

――「EmEditor」は30年近く、エディタの中で最強の一角という存在感がありました。どうやってこの地位を得るに至ったと思われますか?

[江村氏]巨大なファイルを開ける、CSVファイルも開いて編集できる、そういう他のエディタにはあまりなかった特徴があったのが大きいのではないかと思います。最初のバージョンはフリーソフトとして出しまして、その時は、とにかく軽い、すぐに起動して使いやすいという方に重点を置いていました。そこからバージョン2、3となっていく中で、巨大ファイルが開けるなど、性能を良くしていきました。

CSVファイルの読み込みに対応している

――そこは何かこだわりがあってそうしたのですか?

[江村氏]きっかけは、私の大学時代の恩師の先生から、「フリーソフトで巨大なファイルを開けるエディタはないか」と質問されたことがあって。探してみると、確かにないんです。そこで、ないなら自分で作ろう、と思ったんです。

――ただ作っただけではなく、何か江村さんの中に思いやこだわりがあるから、存在感を示し続けられたのではないかと感じます。

[江村氏]やはりニッチなマーケットで、世界最高のものを作りたいという気持ちはありました。巨大なファイルを開けるエディタという分野で、世界最高のものを作りたいと思いましたね。狭い分野でも実用的で最⾼のものを出したいと思いました。

シェアウェアによる開発者の苦悩とサブスクの利点

――なるほど、ニッチで世界最高を目指しているとところが1番の強みであり、ビジネスを続けられたポイントということですね。ではその長い開発者人生の中で、大きな挫折や、もう止めようと思った瞬間はありましたか?

[江村氏]いや、あまりなかったと思います。あえて言うと、シェアウェアというのは確かにソフトウェアの販売形態の1つではあるんですが、その一方で、ユーザーとの交流が割と活発という特徴がありました。パソコン通信のフォーラムで作者がユーザーとやり取りをして、作者と直接話ができる、質問できるといったメリットはすごくあります。

 作者側にとっても、ユーザーのニーズがすぐにわかるのでありがたい、というのがすごくあると思います。ただ、一方では叩かれる、批判されることももちろん多々あるんですよね。

 「EmEditor」は当初から永久ライセンスで売っていましたが、開発を続けていくためには、継続して収入がないといけません。最近はサブスクリプションだけになりましたが。バージョン1はフリーソフトでしたが、その後はシェアウェアにして、バージョンスイッチの際に少しずつ値段を上げたりしました。既存ユーザーの方には、バージョンアップの時に少し安い金額にしたりもしました。

 そうやって収入を作ろうと考えたのですが、そうなってくると、メジャーバージョンアップをしなくてはいけないと思うようになります。これって結構、きついんです。1年間はメジャーバージョンアップができないし、ある程度は魅力的な機能を付けないと、お客様もバージョンアップしようという気にならないでしょう。1年間、一生懸命我慢して、待って、バージョンアップするという、そのプロセスが結構きついなと思いましたね。

――1年も待っていられない、すぐ実装したくなってしまうこともあると。

[江村氏]それももちろんあります。年に10回ぐらい、ワンポイントだけで更新できるのは、サブスクリプションになったおかげです。当時は1年に1回のメジャーバージョンアップを目指していたので、そうすると、1年間はなかなか仕事が進まないというか、開発のモチベーションを上げるのが結構難しかったですね。

 やはり頻繁に更新して、リリースして、フィードバックを受けて、バグフィックスする、そういったプロセスはやっぱり大事なんだなと思いました。当時は1⼈で開発していましたから、何か気分が乗らないで、時間を有効に使えなかった時代もありました。

――サブスクリプションに変わってからは、そういうこともなく定期的に仕事ができるようになったと。

[江村氏]変わる前は、良い機能を付けなくちゃいけないというプレッシャーがあったわけです。でもサブスクリプションにしてしまえば、機能が追加されていようがいまいが、定期的に支払いが発生しますから、機能の良さにこだわりすぎず、割と自由にリリースできるようになりました。

現在はサブスクリプションで提供されている

――素人考えだと、サブスクリプションでお金をいただけるんだから、別に開発しなくてもいいやという感じになりかねないと思うんですが、そうはならないんですか?

[江村氏]そのリリースの頻度の問題だと思うんですよ。1年に1回リリースするか、月に1回リリースするかで、やはり月に1回リリースした方が、刺激があるじゃないですか。その違いではないかと思います。

――やはり根本的に、開発はしたいということなんですね。

[江村氏]開発はやっぱり好きですね。シェアウェアで売っていると、本当は月に1回リリースしたいけれど、小出しにするとバージョンアップの時に困るじゃないですか。そういったプレッシャーはありましたね。

――モチベーションのコントロールがうまくできるようになったのは、どういう変化があったんですか?

[江村氏]やはり、開発が面白いんです。もちろん前から面白かったですよ。ちょっと手を加えると速くなっていて、皆さんに喜んでもらえるというのはすごく嬉しかったですね。あと逆にモチベーションが下がるのは、批判される時ですね。「2ちゃんねる」に「EmEditor」のスレッドがあって、結構、心が折れるというか、落ち込んてしまうことがありました。本当に悪かったところは、率直に受け止める必要はあるんですが、全てを鵜呑みにするのは良くないと思います。

 でもよく考えたら、別にみんながみんなネガティブなことを言っているわけではなく、大部分の方はポジティブに受け取ってくださってるんだろうなと、今だったら思えます。当時はなかなか心の余裕がなかったのかすごく落ち込むことはありましたね。今はMicrosoft Storeなどで、満点に近い評価をいただいて、やっぱり良い評価をいただいているんだなと思えるようになってきました。

――それでも、挫折というほどのことはなかったのは、なぜなんでしょうか?

[江村氏]止めたらお金に困りますしね。一時期、「EmEditor」の開発ではなく、他の会社の手伝いをしていたこともありました。アメリカの会社で、ローカリゼーションを手伝ったりしたことがありましたが。

――基本的には自分で開発を進めてこられたわけですか。

[江村氏]そうですね。あと、カンファレンスとかに参加して、いろんな人の意見を聞くのは、とても大事なことだなと思いました。「EmEditor」は最初の頃、機能はなるべく少ない方が使いやすいだろうと思っていました。でも他の開発者と話したら、プロが使うツールはそれじゃダメだ、やはり高機能にしていかないと生き残れないと言われました。なるほどそういう考えもあるんだなと、すごく勉強になるんですよ。

 ほかにも、どうやって収入を得るかや、人の雇用の仕方、どういうWebサイトのデザインがいいとか、いろんなアドバイスを受けられました。日本ではあまりソフトウェアカンファレンスはないんですが、アメリカでは毎年そういったものがありました。そういうのに参加して、独りよがりにならずにいろんな人の意見を聞くのも、すごく大事だなと思いました。

ノマド的個人開発で夢のアメリカ生活を実現

開発の早いうちからアメリカを拠点にしている江村氏

――現在は開発拠点を海外に移されていますが、海外での生活や開発で、ライフスタイルやマインドセットに変化はありましたか?

[江村氏]アメリカの文化的な部分に、以前は強く憧れていました。自由な雰囲気とか、あまり上下関係が厳しくないとか、個人個人がいろんな意見を言える環境がいいなと思って。
会社を大きくするんだったら、そういう環境にしたいなとは思っています。

――日本からいつごろ移転されたんですか?

[江村氏]2000年にアメリカのEmurasoftを設立して、私自身は2001年に渡米しました。「EmEditor」を作ったのが1997年だから、その3、4年後くらいですね。

――「EmTerm」も「EmEditor」も、基本的におひとりで開発されていますよね。そうすると、あまり自由さは関係ないのではとも思いますが。

[江村氏]そうですね、全く1人ってわけでもないですが。今だったら息子が手伝ってくれていますし、たまに開発を手伝ってくれた人、アシスタントの人とかもいたりはしました。

――いろんな方と協力して作るにあたっては、やっぱ海外の方が自由だったと感じますか?

[江村氏]どちらかというと、私が海外の生活に憧れて、海外に引っ越したいっていうのがあったと思います。

――海外に引っ越されていかがですか?

[江村氏]当時は、すごく良かったと思っていましたね。今はまた逆に、日本に戻りたいなって思うこともありますが、最近までは満足していました。

――生活には簡単に馴染めたんですか。

[江村氏]はい。インテルにいた時は、アメリカに1年ほど居ましたし、その前にも1年間、アメリカに留学していたこともあるんです。ですからアメリカに移住するのが1つの憧れだったんです。個人的なことですが、実際に移住できたので、目的が達成できたということですね。

――生活と言えば、ご結婚されたのはいつ頃だったんですか?

[江村氏]インテルに勤めていた時代ですね。

――奥様は、インテルを辞めて独立することに賛成されたんですか?

[江村氏]アメリカに住むことには、最初は反対していたんですが、私が何回もアメリカに行きたいと言うものだから、彼女も『うん、じゃあいいよ』って。独立することについては、もっとスムーズだったと思います。私の意思を尊重してくれたと思います。

――アメリカに渡ることのほうが大変そうですね。お子さんもいらっしゃったんですか?

[江村氏]子供は3人いて、3人目はアメリカで生まれました。

――それでも家族の壁とかトラブルは、そんなに大きなものではなかったと。

[江村氏]その時にはもう独立していましたから、どこでやるかというだけの話ですね。今だとデジタルノマドとかも流行していますけれど、私もどこで仕事していても大丈夫でしたから。ビザとかの問題の方が、よっぽど大変でしたね。

AIがプログラムを書けても、アーキテクトは人間の仕事

――現在の開発環境を教えていただけますか。

[江村氏]Windows 11でVisual Studioの最新版を使っています。

――特別すごいものを使っているわけではないと。あと最近は、AIが話題になっていますが、開発にAIツールは使われていますか?

[江村氏]「EmEditor」にChatAIというプラグイン機能があり、OpenAIのGPT5.5を呼び出して使っています。日常的にも使いますし、開発にも使っています。

AIプラグインを導入すると、「EmEditor」からAIを呼び出せる

――「EmEditor」の開発でも、AIにある程度任せている部分はあると思いますが、どういう部分はAIに任せて、どこは人間がやる、とこだわっている部分はありますか?

[江村氏]数百個のファイルがあるプロジェクトの全体を見るのは、AIではまだ無理ですね。ですので、アーキテクトと言うんですか、全体を見るのは、今でも人間がやらなくちゃいけないところですよね。でも、その個々の関数を修正したいとか、もっと最適化したいとかいう時には、AIはすごく得意だと思うので、その辺りを中心にAIに任せています。あとはユニットテストを書くのもAIは得意ですね。

――アーキテクト全体を見るというのは、具体的にどういう作業になるのですか?

[江村氏]よくあるのは、この機能を最適化したいという場合に、個々の関数の最適化では済まない部分というのがいっぱいあるんです。速度に影響を与える改善は、全体を見てやるところがあって、アルゴリズムを変えるという作業が必要なんです。アルゴリズムを変えると速度が大幅にアップすることはよくあることなんですけれども、AIは回答を出してくれない。全体を見ることができないから当然なんですけれども。

――アルゴリズムみたいな全体の方向性は人間が考えた上で、個別の最適化みたいなところはAIに任せるみたいな感じですか。

[江村氏]はい。ただ、AIに全部を任せるのではなくて、ある程度は人間がやって、最後に間違いをチェックするとかの用途も多いです。AIはハルシネーション(AIが発する誤情報)で間違ったことを言うことがあるので、AIが書いたものをそのまま鵜呑みにして使うのは危険だなと思います。

 あと、AIも良いことばかりではなく、実はプログラムが悪くなっているという説もあります。実際、AIが書いたコードはすごく読みにくくなることがあるんです。自分で書いたコードだと、自分の書き方の癖があって読みやすいということもありますが、AIが書いたコードはAIの癖になっていて。例えば最適化するためにコードを重複して書いたりしていることもあります

 そうすると、メンテナンスが難しくなってしまうという弊害もあると思うんです。その辺りは気をつけた方がいいのかなと思っています。最初は自分で全部書いて、それをAIにチェックしてもらう、その程度にした方がいいのかなと感じることはありますね。

――AIがコード書くのが当たり前になってきた時代ですが、若い開発者に求められる本質的なスキルってなんだと思いますか?

[江村氏]AIがコードを書くのは、ちょっと悲しいことだと思っています。人間が書いたものをAIに直してもらうのはいいんですが、全部AIに書いてもらうのは、あまりにも危険すぎるなと思います。人間が考えなくなって、スキルがアップしなくなってしまうので、まず人間が書くという努力をしなくちゃいけないと思っています。

 本質的なスキルというのは、さっき言ったアーキテクトの部分だと思います。このプログラムはこういうアルゴリズムでやるという全体的な方針を人間が考えるという部分。いかに⼯夫をしてどんな仕様にするかとか、どのような機能を追加するかとか、そういうアイデアはやはり人間が出さないと、いいものはできないのではないかなと思いますね。

――若い方に向けてのお話しをもう少しさせてください。1990年代、Windowsの普及期に「EmTerm」や「EmEditor」を作られた時と、今のAIの普及期で、似たような状況になってきている部分があると思います。江村さんが今の状況をチャンスとして見るなら、どういう風に考えられるでしょうか。

[江村氏]やはり人がやらない分野、ニッチな分野を見つけて、そこを中心に世界最高のものを作ることができれば、かなりチャンスはあると思います。他の人がやっているのを真似するのではダメなのかなという気はしますね。

 1990年代、あるいは1980年代は、パソコン通信などで、ユーザーとのコミュニケーションが取りやすかった時代だと思います。今はソーシャルネットワークなどが普及してきたので、そういったプラットフォームで、ユーザーにいい評価をつけてもらうような努力をするのも大事かなと思いますね。

――逆に、当時とは違う、今の時代では難しい部分というのも感じられますか?

[江村氏]フリーソフトで結構何でもできてしまっているので、新しい分野を見つけるのが難しいのかなという気もします。

――いろんな会社がAIで便利なツールを次々と出していますが、その中で個人や小規模チームの方々が独自の価値を出して、生きていくためのヒントをいただけますでしょうか。

[江村氏]独自の価値を持っていくこと、みんながやってないことをやるということですよね。もうそれにつきますね。難しいことですれけど。ものすごくニッチなことでもいいと思うんです。

 AIに『Windowsで巨⼤なファイルを開くにはどうしたらいいですか』と聞くと、必ず「EmEditor」が使えますといった答えが返ってきます。このように、AIに聞いたときに、⾃分の商品名が出るようにしなくてはいけないですね。

他の人がやっていないことで、世界一を目指す

――江村さん自身は、「EmEditor」の次なる進化はどこを目指していくのか、これからの展望を教えてください。

[江村氏]1つは、さきほど話していたAIとのインテグレーションです。新しい機能、便利な機能ですね。もちろん、最適化して、巨⼤なファイルももっと快適に使えるようにしたいですし、CSVの機能ももっと増やしていきたいです。今後もいろんなアイデアを見つけていきたいですね。

 さきほど言ったニッチなところだと、例えば1つのオプションだってニッチだと思うんですよ。「EmEditor」に足りないオプションを追加すれば、そこが「EmEditor」の特徴になるので、細かいところですけれど、皆さんの意見を尊重して、良くしていきたいなと思います。

――例えば、どんなオプションを想定されていますか?

[江村氏]本当に細かいことなんですが、例えばテキストを新規作成するときに、新規作成のボタンを押すとか、[Ctrl]+[N]とか、いろいろやり方があります。Webブラウザーだと最近、タブの右側にあるプラスのボタンを押すと新しいタブが開いたりしますよね。そういったものを追加するとか、本当にちょっとしたことなんです。

 別になくてもできることなんですが、そういったことをユーザーから言われることがあるんです。そういうオプション、1つの機能というのが、やっぱり大事なのかなとは思います。

――なるほど、それら1つ1つがニッチなわけですね。

[江村氏]そう、ニッチにも色々ありますね。

――AIに関わる部分にフォーカスするといかがですか?

[江村氏]もし「EmEditor」のAIが使いやすいとみんなに認めていただければ、そこも特徴の1つとして育っていくのではないかなと思います。AIとテキストはとても相性がいいので、もっと便利になるようにしたいですね。

――これからの若い開発者に伝えたい一言があれば、お願いします。

[江村氏]何度もお話ししましたが、他の人がやっていないことをやって、そこで世界一を目指すというのが大事です。あとはユーザーとのコミュニケーションですね。昔はパソコン通信でしたが、今だとソーシャルネットワークとか、そういったものを大事にするということですね。私が今思っているのはその2点ですね。

ニッチな場所で世界一を目指すのが大切だという

――若い方と言えば、息子さんを開発に加えられていますよね。それはどういう経緯だったのですか?

[江村氏]彼もソフトウェアの会社とかに求職活動はしていたんですが、なかなかいいところが見つからなくて。それで私が『じゃあうちで働く?』と言って、それが彼にとってはいい響きだったようで。それが始めたきっかけですね。もう8年前になります。

――開発体制は今後どうしていくつもりですか?

[江村氏]私もまだしばらく現役ではいるつもりですが、いずれは彼が後を継いでいくでしょうね、きっと。

――それはつまり、家業になると。

[江村氏]ええ、まさしく。

――なるほど。そこについては江村さんはどう感じられますか?。

[江村氏]いや、嬉しいですよ、やっぱり。ユーザーにとっても、「EmEditor」の開発が途中で途絶えるよりはいいじゃないですか。引き継いでくれる人がいるのはすごく嬉しいですよ。

――長く続くソフトウェアは開発された方が亡くなったり、オープンソースで引き継がれたりと、いろんな形がありますが、Emurasoftはそうやって続いていくだろうということですね。いろいろお答えいただき、ありがとうございました。