トピック

樋口真嗣氏が見た「AIを道具として使う創作」の大きな可能性~「第一回AIアートグランプリ」で見えたもの

「人類代表として、腹を括ってエンターキーを押してほしい」

グランプリに選ばれた「Desperado by 妻音源とりちゃん[AI]」
準グランプリおよび審査員特別賞の作品
そんな話を彁は喰った。(準グランプリ・審査員特別賞)
Artificial Insanity(準グランプリ)
渚の妖精ぎばさちゃん対キモノアゲハ(準グランプリ)
夢遊音速(ドリームマッハ)(準グランプリ)

 「AIが描いたイラスト」「AIが書いた文章」「AIが作った曲」………、AI技術の急速な進歩で「AIが生成した作品」に対する、社会的な注目が集まっている。
 そんな中、1月に開催、3月に結果が発表されたのが「第一回AIアートグランプリ」だ。

 この、AIアートグランプリのコンセプトは、「人間の芸術的想像力を高めるAIの進歩を受け、来るべき時代に人間とAIが共生し、人間がより自らの能力を拡張するためにAIを活用したアート作品を広く募集し、厳正な審査の上表彰する」というもの。

 下手をすると「人間と対立するもの」ととらえられてしまうこともある生成系AIを、「人間の能力拡張」ととらえ、新しいアートの在り方を模索する、という、新しいコンセプトのコンテストだ。

 その結果は、3月に速報記事でお伝えしているが、受賞作品は、単に「AIで作りました」といったものではなく、まさにAIを「人間の能力拡張」ととらえ、「AIの外」も含めて作品にしたもの。そして、こうした結果を前に、早くも「第2回を」という声も出ている。

 そこで今回は、この「第一回AIアートグランプリ」で審査員を務めた樋口真嗣氏に、審査してみて見えたものや、「AI」と「アート」の組合せで見えた「これからのアート像」をお伺いしてみた。

 生成系AIを前に、「作品をどう作っていくか」と悩んでいる方や、クリエイターを目指している人には、是非参考にしてほしい。

審査基準
応募条件


「単にAIで絵を描きました」というものではなく、「自分が何を表現したいか」を追求する作品が多かった

――「生成系AI」は、昨年からにわかに話題になってきましたが、審査員として参加して、いかがでしたか?まずは感想を簡単にお伺いさせてください。

樋口真嗣氏。1965年生まれ、東京都出身。特技監督・映画監督。'84年「ゴジラ」で映画界入り。平成ガメラシリーズでは特技監督を務める。監督作品は「ローレライ」、「日本沈没」、「のぼうの城」、実写版「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」など。2016年公開の「シン・ゴジラ」では監督と特技監督を務め、第40回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。

[樋口氏]AIというものが創作に与える影響・インパクトがどれほどのものか。短期間の応募期間だったにも関わらず「単にAIで絵を描きました」というものではなく、それで自分が何を表現したいかという創作の可能性を追求する作品が多かったと感じました。
 その上で、残念ながらほとんどの作品におけるAIが、それを使う作り手の才能を超えてこなかった気がします。人類としては喜ばしいことなんですけどね(笑)

――生成系AIを「クリエイターの敵」と考える向きもあるようですが、どう考えていますか?

[樋口氏]かつては映画におけるVFX やCG についても同じような指摘がありました。人が一所懸命にミニチュアを作ったり撮影技法を工夫したりしている横で、映像処理でお手軽に「ズル」をしている、と。

 ミニチュア造形をやってる人から見たら、CG なんかはまさに商売敵だったわけですが、結局は限られた予算、人員、時間といったリソースの中で最大限にいい作品を作るために手段を選んではいられなくなるわけです。結果的に特撮とCG の組み合わせや棲み分けをするようになったように、生成系AIは制作の現場に溶け込んでいくと思います。

暗中模索の中、想像以上の熱量で作品が集まる

――ここから、全体的なお話をお伺いしていきたいと思うのですが、まず、最終審査に残った5作品について、それぞれ、最終審査に残ったポイントを教えてください。

『Artificial Insanity』(TRICYCLE FILM)

[樋口氏]短編の映像作品として、「今できること」を中心に手堅くまとめたという印象です。同トレスに相当する処理をAIのみで作り出すなど創意工夫がありました。ただしモンスターの細かい動きなどはクリエイターが自ら動きを作るなど、アナログな手法とうまく共存しています。

『渚の妖精ぎばさちゃん対キモノアゲハ』(koizoom1)

[樋口氏]あえて既存の生成系AIが苦手なものに挑戦しようという気合と、「自分はこれがやりたいんだ」という強い拘り、迸るようなパッションを感じさせる作品でした。しかし、作者の発想と勢いが面白すぎるため、この作品は、おそらくAIがなくても成立してしまうのではないかと思いました。

『Desperado by 妻音源とりちゃん[AI]』(松尾P)

[樋口氏]亡き奥様の遺言に基づいてAIによって再現された「異世界の妻」の歌声を再現するという非常に物議を醸しそうな作品でした。しかし作者が本当にやりたいことと、AIという新しい表現手段がうまくマッチした好例と言えたのではないかと思います。何よりもモチーフに対する愛情の深さ、揺るぎなさは誰よりも強い「本気」を感じました。

『そんな話を彁は喰った。』(機能美p)

[樋口氏]物語としての完成度は圧倒的ですし、映像としての小気味良さもありました。一次審査で審査員の票を最も集めた作品でもあります。この作品にどうAIを活用したのか興味津々でした。ただ、当日の最終審査会のプレゼンテーションでは、AIをほとんど使っていないことが説明されました。まだまだ人間の想像力、創作力に生成系AIが遠く及ばないことを逆説的に示してくれた作品でしたね。

『夢遊音速(ドリームマッハ)』(朱雀)

[樋口氏]ご本人も漫画の持ち込みを各社に行ったけれどもダメだった、という時に生成系AIを使えば自分で絵を描くよりも綺麗な絵が描けるとわかって、実際に挑戦してみた、という作品です。この作品が作られた当時の生成系AIの実力を考えると、とてもひと目ではそうとわからないほどよくできていましたが、制作過程のプレゼンテーションの中で、やはり苦労した点として「生成系AIの出力がうまく制御できない」ということを挙げられていました。そのせいか、漫画作品としてのテンポやストーリーが生成系AIの出力に引っ張られてしまったのは残念でした。

――なるほど、では、全体を見たときにどんな作品が応募されてきたのでしょうか?また、選考にあたり、作品の何を評価したのでしょうか?

[樋口氏]わずか二週間の応募期間にも関わらず、最終的に270 作品以上の応募がありました。

 第一回ということもあり、応募者の方々も「どんな作品と競い合うことになるのか?」わからず、また、事務局も審査員も「どんな作品が送られてくるのか」全く予想がつかないという暗中模索の状況でしたが、想像以上に熱量の入った作品が多く、入選作品の選考もかなり難航しました。

 最終審査には残りませんでしたが、ゲーム作品やいわゆるメディアアート的な作品など、応募作品の幅が広かったのは印象的でした。その結果、単に「AIをどう使うか」というテクニックを見るのではなく、より作品で表現される内容に審査の力点が移っていった面はあると思います。

佳作として選ばれた作品の数々

――審査に関わったことで、見えてきたものはありますでしょうか?

[樋口氏]まだまだ人間も捨てたもんじゃないということ(笑)

 生成系AIをこれだけ使いこなしている人たちの中から、本当に私たち審査員の度肝を抜いてくるものもいくつもあるのですが、その一方で、全く刺さらない作品もありました。

 結局のところ、作品というのは「いかに見る人の心を射抜くか」というところが重要なので、道具は変われど結局は作る人間の根底にある価値観、渇望、欲望、そういうものが問われる点は、従来の表現手段と何も変わらないかなと思います。


「AIの表現は“どこかで見たもの”と“その組み合わせ”、その先を見てみたい」

――次の時代の「アート」や「クリエイター」像があるとしたら、それはどんなもので、どんな人物像でしょうか?

[樋口氏]それまで高価だったり、一部の人しか使えなかったはずの道具が手軽になってくればくるほど、作り手の能力の差は際立ってきます。

 例えば昔、動画を撮影するカメラなんか普通の人がおいそれと手に入るものではなかったし、コンピュータグラフィックスも非常に高価で特殊でした。しかし、それが誰でも扱えるようになった時、それでも依然として作り手の差は作品に如実に反映されてしまいます。結局いつの時代も、表現したいことを全力で表現する作り手が残っていくのではないでしょうか。

――画像に限らず、どんな「生成系AI」に注目していますか?また、「生成系AI」のどんな使われ方に注目していますか?

[樋口氏]ChatGPT に物語を考えさせると、何かそれっぽいものは出てくるけれどもまだ物足りないですね。今後もっとこういう分野が進歩したら私の仕事も楽になるのかも………いや、私自身がいらなくなるのかもしれませんが(笑)

 ただ、「人が見たこともないものを作り出す」というのが私の生きがい見たいなものですので、生成系AIというのはどこまでいっても「どこかで見たもの」と「その組み合わせ」しか表現できないなと感じます。その先を見てみたいと思っています。

――生成系AIが登場したことによって、なにが変わり、なにが変わらないと思いますか?

[樋口氏]CG のテクスチャ生成などの分野では、効率が上がるのかもしれません。ChatGPT のようなものはアイデアの壁打ち相手として少しは使えるのかもしれませんが、前提知識が違うので、あんまり役にはたたなさそうです。

 映画を見まくったAIというのはまだ聞いたことがないので、そういうものが出てくればあるいは「あの映画のあのシーン」みたいな提案をしてくれるといいですね。ただ結局は、「自分は何を面白がるか」ということは人間にしかない能力だと思うので、そういうところはずっと変わらないだろうと思いますね

――生成系AIが何かを作る時代になってきたわけですが、我々は作品の何に心が動かされるのでしょうか?

[樋口氏]難しい質問ですね(苦笑)

 何かワクワクしたりドキドキしたり、エエッと驚いたり、カッコいいと憧れたり、悲しいと涙が出てきてしまうようなシーンというのは、基本的に全て、人の心の動きですよね。

 今のAIは、人の心の動きを理屈から類推することはできても、それが実際にどういうことなのかは理解できません。例えば、プリンとウニは別の食べ物ですし、AIはそう学習しているはずです。プリンはデザートでウニはどちらかというと食事に近いわけです。でも、プリンにお醤油をかけて目を閉じて食べるとウニと錯覚する。この感覚はAIは永久にわからないわけですね。

 作り手が考えている作品ということはこのことに非常に似ていて、表層的なところだけを切り出して真似しても決して到達できない部分に本当に心を動かされる瞬間があると思います。それを意図的に作り出すのが作品であって、AIによってそれが偶然生まれるとしたら、それは作品というよりは事件ですね。


「人類代表として、腹を括ってエンターキーを押してほしい」

――「第2回AIアートグランプリ」があるとしたら、どんな作品を期待したいでしょうか?

[樋口氏] やはり、AIでなければ作れない作品というものを強く期待しています。「絵が描けないけどAIで絵が描けた」で止まってしまうのではなく、だからこそ自分が表現したいものが何で、故にAIを使って人間の名人でも絶対に作れないものを作り出してやろうと、そういう野心的な作品と出会えることを期待しています。

――今、AIを活用して、クリエイターを目指している人やクリエイターであろうとしている人になにか一言いただけないでしょうか。

[樋口氏]難しい質問です。

 AIだけを用いて何かを作るよりも、併用することでより確度の高い結果が導き出るはずなので、全てのジャンルを熟知して使い分ける事がよりクリエイティブな結果を産むような気がします。

 あとはどうしても獲得したい目的のために手段を選ばない本気、誠意、狂気とどうやって向き合う事ができるか?

 どんなビジョンでもブレずに抱き続るための胆力。

 何しろ新たな意識を持った存在と向き合うのですから、人類代表として腹を括ってエンターキーを押す覚悟で臨んでください!

――ありがとうございました。