生成AIストリーム

Apple visionOSであたためる夫婦のAI

夫婦のAIを試すなら『visionOS simulator』で

 今回の「生成AIストリーム」は、発売前の Apple Vision Proについて、小説風でお送りします。

夫婦のAIを試すなら『visionOS simulator』で

 「僕」は都内某所のIT企業で働くエンジニア。先ほどからApple『visionOS SDK』のダウンロードをして、『Apple Vision Pro』でどんな体験ができるのかを調べている。

 いつもとは違った様相の画面が気になったのか、彼女──僕は「オクサマ」と読んでいる──が首を突っ込んできた。

「Apple visionOS simulator」

「なにこれ」

 オクサマは興味と怪訝そうな雰囲気で尋ねた。

「『Apple Vision Pro』だよ。2024年に発売される予定のアップルの新製品」
「ああ!ニュースで見たよ……で、いくらだっけ」

 僕は『まずい展開だ』と思いながらも、動揺を悟られまいと、眉ひとつ動かさずに、迷わず用意しておいた答えを述べた。

「Vision Proは3,500ドル、今の日本円で49万円ってところ」
「高っ!!高いとは思ってたけど、50万円とは!」
「3,500ドルだよ……今のレートで……49万7,290円」

 僕は咄嗟に「visionOS simulator」上のWebブラウザー「Safari」を起動して、今日のレートでいくらなのか、計算してみせた。

『3500 usd jpy』

 そうタイプすると、Googleの検索結果よりも先に、visionOSがYahoo!のレートからリアルタイムで計算結果を表示してくれた。

「visionOS Simulator」の「Safari」で計算をさせた

「へえ、レート計算ぐらいはOSだけでできるんだ。じゃあ株価の監視には使えそうだね……」

 僕は内心『やった』と思った。金融IT系にお勤めのオクサマにとって、Vision Proの約50万という価格を『いかに、価値あるデバイスであるか』を体感的に理解させる最大のチャンスだ、と思った。むしろ今、いかにVision ProのSDKをレビューしようとも、肝心の本体を購入する際に『なんでこんな高いガジェット、無駄じゃない』なんてことを言われたら悲しすぎる。ここは是非とも『Vision Proは安い!』と思わせなければならない。

「そう、株価を毎日見続けているデイトレーダーの方々なら、この3,500ドルは安いと思うけどね……こうやって……ほら」

 と言って僕は、シミュレーターのリビングルームいっぱいにウインドウを配置してみせた。いわゆるブラウザーのタブを移動させて、左右や天井に大伸ばしして、ついでにYouTube動画も再生して、「HelloWorldデモ」の地球儀まで表示してみせた。

リビングルームいっぱいにウインドウを配置して見せた

「へえ……これは部屋にたくさんディスプレイを置いてる人には良さそうねえ」

 オクサマは素直に感嘆してみせた。

『そうだろ? 仮にこれだけの大型ディスプレイやプロジェクターを買ったりしたら、百万円ぐらいにはなるよ……』
「そうねえ……」

 僕は得意になってつづけた。

「それに、ここがシリコンバレーの一等地だったら、土地代だけで3,500ドルを回収するのに1ヶ月かからないんじゃないかな!」
「う〜ん……でもここはシリコンバレーじゃないし」

 彼女はあえてVision Proの話題を逸らすかのように、僕の周りを歩きながら、部屋のそこかしこを指差しながら言った。

「そうねえ、あなたのPCデスクを撤去して、ここの壁に絵を置いて、それからここに大きめの観葉植物をおいて……あとはペットも飼えるのかしら?」

 僕はハッとした。これはチャンスではないか。

「そ、そうだね!壁の絵は、大きくしてもいいし、動的に入れ替えられるだろうし、何なら今まで撮った写真を置くこともできるはず。観葉植物にも水をあげる必要はないしね。ペットもたぶんアプリで可能じゃないかな……確かにどんな犬でも猫でも30万ぐらいはするからね……これは3,500ドルの価値はあるね……いや~、むしろお世話が要らないだけ、お得かもしれない……あとは楽器だな。ピアノを置こうと思ったら、それなりの部屋に引っ越さないとだけど、アップライトの電子ピアノがグランドピアノに見えるかもしれない」

 オクサマは、ふーん、と考えて、それからポンと手を打ち、
「リモート会議で、お化粧もしなくてもいいのかも!」
「なるほど、確かに発表があったWWDC2023の動画では、FaceTimeがリアルなアバターで使えることが表現されていたけど……今回の開発者向けリリースではその情報はなさそう」

「まあ『Snow』とか写真加工アプリがいいエフェクトを出してきそうだし、『FaceTime』である必要はないかな〜」
「アプリ開発者的には頑張りたいところだね」

 ……と言って、僕は内心『これはいける』という気持ちになった。3,500ドルのデバイスを買うのは正直自分でも勇気がいるのだけど……。

現在、「Not Yet Available, Comming soon」となっているFaceTimeだが、WWDCではリアルなアバターによる通話が可能というプレゼンテーションが行われていた

 僕はスウっと息を吸って、思い切って告白した。

「Apple Vision Pro、欲しいな……」

 オクサマはまるで僕がそういうのをわかっていたかのように笑って、耳元で
「いいよ……」
 と囁いた。

 自分が紅潮していることを感じた。何年ぶりだろうか。

 ちょうど、新婚当初『子供が欲しい』と言われたときのときめきを思い出してしまったのだとおもう。もう、だいぶ前に諦めてしまったけど……。

 オクサマは続けて、
「でも、これって、もしかしてApple Watchとか要らなくなるのかな?」と、
いたずらっぽい笑顔で返した。
「Apple Watch?? どうなんだろ、そうだな、確かにヘルスケア、マインドフルネスとかスポーツ、エクササイズ、フィットネスってApple Watchがチカラを入れている用途なのでありそうではある」
「でしょ? 今だってiPhoneとApple Watchだけで片腕20万、さらにこれに加えて『顔』に50万円」
「それは……まあ……そうなんだけど」
「あなたの場合は開発者だから、さらに加えてMac Book Pro M2が38万円。まあ軽く100万円超えるやつだわ」

 僕は思わず『うぐぐ』と声を漏らしてしまった。オクサマはすでに僕がApple Vision Proを欲しいのがわかっていて、すでにこの足し算を用意していたんだ。さすがリアリストなオクサマ。そう思うと、つい紅潮してしまった自分に、見透かされた恥ずかしい気持ちと、このあとどんなカウンターパンチが来るのか、と複雑な気持ちになり、身構えてしまった。

「もっと女性が喜ぶアプリを考えなきゃね!」

 オクサマはそう言って、ソファに足を組んで座り、笑った。

 僕は予想外の展開に、
「どういう……意味?」
と聞き返してしまった。

「それは……あなたのような開発者の仕事でしょ……! 簡単にいえば、ギークなガジェットオタだけじゃなくて、技術に興味がない女性も、納得するような機能とか、スマートさがないと、思ったようには売れないんじゃないかなってことよ」

 僕はちょっと感心してしまった。確かにそうだ。iPhoneが誕生する前にもスマートフォンらしきものはあった。Macが生まれる前にもパソコンはあった。アップルはそれらの「ギークな技術オタ向けのオモチャ」を、よりしっかりとしたOSとハードウェア、かっこいいデザインとマーケティングできっちりとブランドを作ってきた企業じゃないか。開発者はそのOSのcoolさに惹きつけられて、アプリという概念を開発してきた。アプリとしてのソフトウェアは実際にはゼロ円だけど、サービスとかサブスクとかも並列にしてエコシステムを作ってきたのは俺たちじゃないか。

 それにApple Watchだって、そうだ。中華ウォッチなら3千円ぐらいで手に入るのに、なぜ機能もそれほど変わらないApple Watchを当たり前のように使っている女性がこんなに多いのか。本体だけでなく、バンドやパッケージ、ショールームなどの展開、そしてApple Watchを使っている女性たちを僕は毎日自動改札で視界に入れている。Apple製品にはそのカッコよさや、ギークじゃなくても使いやすいUIやUX、それを支えるOSがあり、開発者はそこから様々なサービスやインフラを作っていく役割があるじゃないか。

 オクサマは観葉植物だのピアノの向きだのを思案しながら、こう言った。

「つまり……私たちみたいな夫婦が、1人1台、使えるような、ってことかな」
「え……1人1台、って言ったら2人で7000ドル、99万円だよ!」

 いきなり倍になった予算に、今度は僕が、びっくりしてしまった。

「そうねえ……99万円は高いけど、広い部屋に引越すよりは安いのかもしれない」

 僕はいきなりの予算上限の倍増や転居の提案に興奮しながらも、同意した。

「そうだね! 車を買うのに比べたら安いし、夫婦で何かを共有したり、別々にしたり……確かに、海外引っ越しするとかに比べたら、安いのかもしれないね!」
「だよねえ〜。私はフィンランドでオーロラを見て暮らしたい!って言ったら、あなたは『そんなところに住むお金があったら別のところに行きたい』って言ったしね」
「いや、まあ、それは……そうなんだけど」
「アナタがアニメをみているときに、私がNetflixで別の番組みていても問題ないだろうし」
「なるほど〜。フィンランドのソファにふたりは座っているけれど、別の動画を見ているということ?」
「まあ別に、一緒に観てあげたっていいんだけどね。それは映画館に行けばいいでしょ。そもそも感動のポイントが私とアナタじゃ違うわけで」
「うーん、すみません。オタクなんで」
「エクササイズも、スポーツクラブにいくよりいいかもしれない。私は人にジロジロ観られるの好きじゃないし……」
「え……そうなの、ナイスバディだから気にならないかと思ってた」
「そんなことはないよ! ヒトが一生懸命運動しているのに、他人の視線を気にしなきゃならない世間のナイスバディ女性の立場を体験してみるといいよ」
「まあ……確かに、そういう視線を体験できるイマーシブなVRシミュレーターもありそうだけど……」

 正直、やりたいかどうかはわからないが、そういう研究があるのは知っていた。

 Apple Vision Proは視線や瞬き、瞳孔の大きさも取得できるそうだから、一般的な街中の映像とかでも『変なところを見ている人物』は、高精度に検出可能なんだろうな……と。

「そういえば『顔面ディスプレイでお化粧』といえば、こんな漫画をTwitterで見かけた事があるよ」

 僕は話題を逸らしつつも、未来に話を持っていこうと、ブラウザーで漫画を紹介した。

※原作は2021年8月29日のツイート

オクサマは、たった2ページの漫画をふんふんと読み、

──だが『顔』を外部化したことで 気づいたのだ 今、私の顔を見るのは私だけ  私の顔はようやく私のものになったのだ──

という最後の一節を声を出して読み上げ、
「もしかして……これは夫婦生活に別次元の潤いをもたらすかもしれないなあ」
と、意味深なため息をついた。

『別次元の潤い?』

 僕は、何となく想像してしまった。僕たちはこのApple Vison Proの後継ともいえるフェイスマスクを装着し、ベッドで濃密なコミュニケーションをしている。お互いが観ているものは、『若い頃の僕たち』かもしれない、学生時代の制服を着ているかもしれない、むしろ別人かもしれない。もちろん、そんな現代の『美顔フィルター』のようなテクノロジーすら必要ないかもしれないけれど、何となく楽しみのような……ディストピアのような……。

「まあでもそんなエロい事に使えてしまうアプリをAppleが許すともおもえないけど……!」
と、鼻の下を伸ばす僕を
「ちょっと試してみたいね……」
とオクサマは悪戯っぽく微笑み返した。

 僕は胸に若干の苦しみと、何となく気恥ずかしい気持ちになって、Vision Proを外した。
これ以上は、いけない。

 さっきまで、2023年夏頃に撮影した古いデータを掘り起こして、生成AIで軽く加工してVision Proで再生していたのだ。

 僕は深く、息をついて、目を覆った。

 短い時間だったけれど、目じりには、涙という名前の液体が滲み出ていた。

 まだ元気だった頃のオクサマが、この空間を歩き回り、耳元でささやき、会話をしていた。その存在を再生しているだけなのに、まるで自分自身の動揺、まばたき、息遣い、感情の機微が、彼女に伝わっているかのように、今の自分の感覚を通して再現されているような感覚になる。

 これはマルチモーダル生成AIによってその当時の感情のやりとりを推論したものだ……とわかっていても、やはり自分自身が関わるコンテンツは人間の心に響く。

 ところで実際のリビングルームは荒れ放題だ。どれぐらい荒れているかはVision Proを装着している間はわからないが、何かを踏んで歩くようなことはないから大丈夫だろう。

 少なくとも僕の視界の中からは、チリひとつない。壁の絵画、観葉植物、ピアノ、空間コンピューティングアプリで作られたオブジェクトたちは今でも変わらずに『僕の部屋』にある。住所は何回か変わったのだけど。

──あの時、勇気を出して、買っておいてよかったな。

 その後の僕といえば、夫婦でVision Proを使った空間コンピューティングのアプリ開発者として、様々なサービスを生み出してきた。当初は値段が高く、参入障壁が高かったおかげもあって、冠婚葬祭に不動産、エンタメにペット業界に、エクササイズ業界など、世界中で利用されている。開発も事業もとても大変だったが、今では多くの開発者が、ありとあらゆる空間コンピューティングのアプリケーション開発に取り組んでいて、生成AI技術にアシストされる人間のインタラクション理解を使ったアプリが開発される時代になってきている。

 僕は「窓」を開いて、仕事に戻る事にした。空間コンピューティング版『Xcode』で『お墓参り』を開発をしていたところだ。これがシンプルなようでなかなか難しい──。

 窓の向こうには、フィンランドの杜が広がっている。空にはオーロラが煌めいている。たくさんの大好きなオブジェやメモリーに囲まれた彼女は、安らかなまなざしで僕の人生を見つめている。

 いつまでも、いつまでも。

※この小説は、2023年6月時点に公開されたApple Vision Proのテクノロジーをベースに書かれていますが、あくまでも筆者の想像です。また実際のSDK、アプリ仕様、特許等には関係ありません。