【第23回】
オンラインソフト・フェノメナ(後編)
~社会問題を乗り越えて~
(01/08/13)
お盆に入り、休みを取ってのんびりしたり、帰省している人も多いことだろう。しかしインターネットではここしばらく“Code Red”系ワームが猛威をふるっていて、帰省どころではないという人もいるかもしれない。最近ぼくがテスト用に立ち上げているWebサーバーにも、“Code Red”からと思われるアタックの痕跡が毎日たくさん残るようになっている。
“Code Red”系ワームは、窓の杜でも記事になっている通り“IIS”のセキュリティホールから侵入して自己増殖していく、たちの悪いワーム(コンピューターウイルス)だ。ウチのWebサーバーソフトは“IIS”ではないフリーソフトなので感染の危険はないのだが、先日アクセスログを数えたら、“Code Red”からと思われるアクセスが24時間で450件もあった。これからさらに増えていくのだろうかと思うと、なんだか心配になるのはぼくだけだろうか。
ウイルスはフリーソフト?
こうしたワームやウイルスも、広義では悪意をもって人為的に作成されオンラインで広まる“無料ソフト”の一種と言っていいかもしれない。ワームやウイルスをオンラインソフトだとかフリーソフトと呼ぶのはかなり抵抗があるのだが、今やその境界線をハッキリと引けないのも事実ではないだろうか。例えば近年耳にする“スパイウェア”などは、境界線上の微妙な位置にあると言えるだろう。“スパイウェア”は、一見なんら害のないフリーソフトのように見えて、インストールするとPCから個人情報などを盗みだし、ユーザーの知らぬ間にインターネット経由で特定のサーバーなどへ送ってしまうものだ。
またかつて、シェアウェアなどの不正利用対策として、ユーザーが不正なシリアルナンバーを登録して使おうとするとハードディスク内のデータやシステムファイルを破壊するといったオンラインソフトが出回り、世間を騒がせたこともある。ああいったソフトもいわば“トロイの木馬”に類するものだろう。不正利用をやめさせたいという作者側の動機はわからないではないが、明らかに過剰防衛であり“行きすぎ”の感は否めない。
ファイル共有ソフトと著作権問題
ユーザーそれぞれ一人一人がもつ資産を皆で共有し、皆で幸せになろう、という昔どこかで聞いたような“善意”が、大きな社会問題になっているケースもある。それがここ数年騒がれている「Gnutella」や「Napster」、「WinMX」などのファイルシェアソフトだ。これらのソフトに共通する問題は改めて書くまでもなく、著作権を無視して著作権者の許可なしに、誰かの著作物であるファイルやデータをユーザー同士で簡単にやりとりできるという点にある。
「Napster」は米国で訴訟問題にもなり、ぼくがニュース報道を見ている限り、フィルターをつけたり有料化することで米国内ではようやく解決の目途がたってきているようだ。しかし今、実際に「Napster」を起動して例えば何か適当な曲名を検索してみても、ファイルが引っかかってくることは少ない。ユーザーが逃げ、下火になってしまったのだろう。これに代わっていま急速にユーザーを増やしているのが「WinMX」のようなのだ。
「WinMX」は「Napster」と違って、日本語がそのまま使えたり、MP3以外にもMPEGやAVI、JPEGなどのファイルも検索してやりとりできるなどの特徴がある。また操作性も悪くない。たとえば「モーニング娘。」といった文字列で検索すると、いつでも何十という検索結果がズラズラッと出てくるし、回線速度やビットレートで絞り込んで誰でも簡単にダウンロードできてしまう。1つのファイルにつき複数のダウンロードが同時になされている状態も見てとれる。
どこに問題があるのか
今の日本の法律で、こうしたファイルシェア行為がどのように取り締まられていく可能性があるのか、ぼくは法律家ではないし、ここでは何とも言えない。これらのソフトでやりとりできるのは、著作権がハッキリしていて違法性の高いMP3ファイルやMPEGファイルとは限らないからだ。自分で作曲して演奏したMP3ファイルをファイル共有することもできるし、そういう名目で使うなら何ら問題はないと言うことができる。
さすれば、法律で取り締まられるべきはファイルシェアソフトの作者ではなく、ソフトを使って違法に著作物を共有しようとするユーザーすべてということになるのだろうか。実際「Napster」のユーザーを割り出すソフトが開発されたというニュースは読んだし、それを受けて欧州では警察が違法MP3ファイルを大量に共有している悪質なユーザーの取り締まりに動いているという話も聞いている。「ソフトウェアそのものに罪はなく、その使い方が問題なのだ」… あのFLMASK事件のときのように今回もそう言ってしまっていいものかどうか、今のぼくにはいくら考えてもわからない。しかし、これからブロードバンド環境が普及するにつれ、さらに大きな社会問題になっていく可能性があるように思う。
大多数が“善良な”オンラインソフト社会
では、こうした社会問題にまでなるソフトがはびこるようなオンラインソフト業界には、未来の希望はないのだろうか。今後ますます無法地帯と化すか、司法当局による取り締まりがどんどん厳しくなるしか道はないのだろうか? いや、ぼくはそうは思わないし、思いたくもない。ぼくが見てきたオンラインソフトの“文化”は、そんなことにはならないはずだ。
インターネットが日本でも普及し始めた当時、テレビや新聞がインターネットをさも“悪の巣窟”であるかのように報じたり、掲示板のカキコミを“便所の落書き”と酷評したジャーナリストを見て、違和感を覚えた旧来のインターネットユーザーは少なくなかったと思う。あれから月日がたって、インターネットが今どうなっているかというと、決して“悪の巣窟”にはなっていないし、見るに堪えない“便所の落書き”だらけにもなっていない。ニュースで報じられるような“不正利用者”はごく一部のことであって、大多数のインターネット利用者は、善良な、ごく普通の、一般大衆なのだ。オンラインソフトの作者や利用者だって同じことだろう。
後ろめたいなら人にも勧めない
こうして見てくると、オンラインソフトの中には“よく切れる包丁”のような性質をもつものがあることは、おわかりいただけると思う。正しく使えば重宝するが、気を付けないと他人の心を傷つけたり、あえて“後ろめたい使い方”をすることで犯罪に関わったり、誰かの正当な権利を侵害したりすることになるものもあるのだ。一番肝心なのは、我々オンラインソフトを使う側と作る側、ひとりひとりがその危険性をしっかり認識し、後ろめたい気持ちにならないような堂々とした利用を心がけることではないだろうか。
もちろん、一般社会でも事故や犯罪から自分で身を守る努力が必要なように、オンラインソフトを使う上でも、自分の身は自分で守るということ、すなわち最新のソフト情報を入手してセキュリティ対策を行うことは非常に大切だ。その上で法律を整備したり規制を厳しくするのはある程度必要だが、できれば上から押しつけるのではない“自主規制”、つまり自分で後ろめたいなら使うのをやめ、他人にも勧めないといった姿勢が望まれる。オンラインソフト文化には、そうした自浄力こそ必要不可欠であり、似合うものだとぼくは思うのだ。
といったところで今回のよもやま話は終わることにしよう。
(ひぐち たかし)